沿革
水土里ネットしんあんの区域は、古来から淀川の氾濫と悪水の停滞に苦しんだ低湿地帯で、安土桃山時代から江戸時代にかけて多種多様な用排水事業が行われてきました。
これらの様々な用排水事業を背景に、「神内村外67ケ村申し合せ組合」という協議機関の設置が行われ、明治時代に入ると「水利土功会」が設置され、明治26年1月28日には神崎川と安威川の頭文字をとり「神安普通水利組合」に改組されました。
明治時代から大正時代にかけて、神崎川の直線化工事や、現在の排水系統の基盤となった第1次安威川改修工事、また、昭和10年・13年の集中豪雨により被災した安威川の決壊に関連した神崎川改修工事、第2次安威川改修工事等に関連する様々な事業が取り組まれました。そうした中、「神安普通水利組合」は昭和24年8月土地改良法の施行にともない昭和26年2月10日・大阪第18号をもって「神安土地改良区」に組織変更されました。
その後、その時代々の農業環境に対応すべく水利施設の数々の整備、改善事業が実施されてきました。
現在は本土地改良区の愛称を『水土里ネットしんあん』とし都市化の中でより地域に開かれ、より身近に感じてもらえるよう地域づくりに向けた事業に取り組んでいます。
水土里ネットは、21世紀土地改良区創造運動の一環として、土地改良区自らが今日的な役割を認識するとともに身近で親しみやすい組織として地域や国民に認知してもらうことを目的に土地改良区の愛称として定められたものです。
- 「水」は農業用水や地域用水など
- 「土」は土地、農地、土壌など
- 「里」は農村空間や農家・非農家の生活空間
などを象徴しています。
更新日:2019年06月24日